
ここ数年、あちこちから漏れ聞こえてくる中国民衆のうめき。
それは土地徴用に対する条件への不満であったり、
当地の政府職員の不正に対してであったり、
無策な現地政府への直接の怒りであったり、
そして犯罪に対する当局処理への意見表明であったり。
中国国内メディア、とくに政府系メディアではなく、
外電を通じて我われの世界にもたらされる、
それらの情報をよみとく外部メディアの記事は常に、
「中国政府は今や民衆の怒りを無視できなくなった」と結ぶ。
昨年6月、アモイで起こった2万人の市民による「散歩」は
政府が強硬に進めようとした化学工場建設に待ったをかけ、
さらに12月にはプロジェクトの完全中止を勝ち取った。
そして、この事件は海外のみならず、
中国国内でも「公民社会の誕生」と大きく注目された。
元新聞記者のコラムニスト
連岳は風光明媚な海洋の町、アモイを愛し、
アモイの景勝地コロンス島に住み着いた若者の一人である。
化学工場がこの街の環境に大きな影響を与えることが科学者たちの緻密な資料によって暴かれたとき、
彼も立ち上がって公共メディアが市民には届けない情報をブログを通じて送り続けた。
この街に暮らす科学者たち、そしてオピニオンリーダーたち、一般市民たち、
さらには政府職員を揺さぶり、立ち上がらせたアモイの、この「散歩」デモ行進は
本当に「公民社会」への一歩となったのか。
もし、そうであるならば、中国の「公民社会」は今後どんな道を歩むのか。
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posted by wanzee at 08:00
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