2008年05月04日

皇甫平:浮雲の目隠しを畏れるな

「一日一本」はわずか2本見ただけでおしまい。三日坊主じゃないぞ、一日坊主だ。

聖火リレーがとうとう中国大陸に到着したころから、ウェブサイトを中心にちょっと話題になっている文章がある。元「解放日報」の論説員であり、「人民日報」の副編集長の皇甫平(本名は周瑞金)氏が発表した『浮雲の目隠しを畏れるな』(中国語オリジナルはここあるいはここで)。

基本的にその立場上、中国政府の見解の立地点を離れていないものの、「中国の立場からのチベット問題、そして北京オリンピック騒ぎの解決」を呼びかける声としては、かなり冷静で客観的な視点の文章だと思う。もちろん、中国人に向けて書かれているので、ちょっとガイジンには分かりにくいし、とくに「チベットは独立すべき」という立場に立つ人なら納得も賛成もできないかもしれないが、「中国の立場」をまず知るには非常に貴重な文章だろう。

……ので、「一日一本」を棚上げして翻訳してみました。全文1万3千字を超える「ド」大長編なので、読もうと思う方は心してかかってください。それでは、休日つぶして金にもならない翻訳をやった、わたしのメンツを立ててくださる方はどうぞ。

皇甫平:浮雲の目隠しを畏れるな

聖火が二つの民族、二つの文化に引き起こしたやけど


 4月30日、北京オリンピックまであと100日。

 3月30日にギリシャで行われたオリンピック採火式以来この一ヶ月のかしましかったこと。聖火はロンドン、サンフランシスコからニューデリー、キャンベラ、長野、ソウルと伝わり、現地の人々や海外で暮らす華僑、留学生の熱意のこもった歓迎を受けると同時に、中国政府によるチベット問題の処理方法に不満を持つ人々の、沿道からの抗議も引き起こした。聖火リレーがスムーズに行われるよう、各国の警察当局はルートの非公開、臨時のルート変更、路線短縮、聖火の一時消火、抗議活動家の逮捕などの措置をとらざるを得なかった。路上では、北京オリンピックを支持する海外の華僑や留学生と、チベットの「独立」を支持する人々がたびたび衝突した。平和、団結の象徴であるオリンピックの聖火が、中国の漢族とチベット族という二つの民族、そして中国と西洋社会という二つの文化にやけどの痛みをもたらすことになろうとは思いもしなかった。

 オリンピックの開催は、中国人がここ100年待ち焦がれたことだ。それがとうとう中国の首都で盛大に行われるというときになって、我われに突然このようなばつの悪い思いをさせている。激情の塊になった2回のオリンピック開催地申請において、我われは、オリンピックとは我が家の庭で舞台を建てて演ずる北京オペラのようなもので、世界に我が民族の台頭、太平の世を歌う舞台だと思っていた。オリンピックがまた、宇宙望遠鏡のように主催国のさまざまな不足点に焦点をあて、それを数倍に拡大するものだとは考えもしなかった。我われは潜在的に、世界が北京オリンピックを通じて中国の現代化構築の成果に感嘆し、世界中の華人たちの意気を昂揚させることを期待していた。しかし、世界各国の人々、マスメディア、NGO(非政府機関)、さらに一部の特に政治的な意図を持つ勢力もまた、オリンピックを借りて我われの国の管理方法、物事の処理習慣をさまざまに議論し、またわが国がオリンピック開催の過程を通じて民主、人権、法治の面で明らかに変化することを期待していたとはまだはっきりと気づいていなかった。

オリンピックは中国の世界との打ち解けの渇望を代表
 
 北京のオリンピック開催、上海の万博開催、中国のWTO加盟、対外開放、国連のPKO参加などはすべて、中国の人々が世界文明の主流と打ち解けたいという心からの願いを反映するもので、中国政府の国際社会に対する丁重な承諾である。外部の圧力と内部の疑心によって我われが向かう方向を変える必要はないし、またそれは不可能だ。

 改革開始の当初、トウ小平が日本やアメリカを訪問し、大国中国が毛沢東時代の鎖国から歩み出るのを推進した。日本では、トウ小平は新幹線とその生産量が中国の長春第一汽車の99倍という日産自動車を訪問した際、感慨たっぷりに「現代化とはどういうことか、よくわかった」と語った。アメリカのヒューストンにおいては、ロデオを参観し、カウボーイからカウボーイハットを受け取り、頭に載せた。共産国の指導者が喜んでアメリカ文化の象徴品を受け取る様子は、メディアによって中国が国門を開いた象徴として焼き付けられた。

 冷戦が収束し、世界が多極化に向かっていた時代において、まだ冷戦思想の残影からの干渉は存在していたものの、中国人は時を逸することなく対外開放の制度化を進めた。

 中国共産党の3代目の指導者だった江沢民は政界を離れる前に、アメリカのジョージ・ブッシュ大統領の招きを受けて、テキサス州クローフォードの農場を散歩し、船を漕ぎ、中米間における戦略的協力パートナーの関係作りに基礎を固めた。

 中国のWTO加盟努力が西洋の敵意と国内の疑心という板ばさみにあっていた歴史的な時期に、朱鎔基は罵りをよそにアメリカを訪問し、その後北京で自らアメリカ人と最後に残った七つの手厳しい問題を討議した。中国の首席交渉代表だった龍永図はその様子をこう振り返っている。アメリカ人が最初の三つの問題を投げかけたとき、朱鎔基は「同意する」とだけ答えた。龍永図はあわて、メモを手渡した。思いがけないことに、朱鎔基は机を叩き、「龍永図、メモはもういい」と言った。そして4番目の問題に入ったとき、朱鎔基は「後の四つの問題はあなた方に譲歩してもらいたい。もし譲歩すれば、我われはサインしよう」と言った。アメリカ人は緊張した面持ちで5分間話し合った後、中国側に同意した。中国のWTO加盟の最大の障害がこうして一挙に取り除かれた。

 対外貿易を担当した呉儀・前総理は積極的に中国経済の世界経済との一体化を推進、中外貿易紛争を論理的に処理した。中米間の知的所有権交渉においてアメリカ人が「我われはこそ泥と交渉しているところだ」と言えば、呉儀はすぐに「我われは強盗と交渉しているところだ。あなた方の博物館にある展示品はほとんどが中国から強奪されたものではないか」と非難した。アメリカのバーシェフスキ通商代表は呉儀を、「非常に率直な国家利益の擁護者」と賞賛し、アメリカのポールソン財政長官は引退を前にした彼女を「傑出した中国人民の代表」と称えた。呉儀はこれに対して「わたしはセールスマン。祖国中国をセールスしているだけ」と淡々としていた。

 中国は市場経済から排斥されているわけではない。改革以前には公有制労働者が一般労働者総数の99.96%を占めていたが、今日では非公有経済が、そこには私有経済と香港資本、台湾資本、外国資本が含まれるが、中国における三本柱の二番手となっている。中国はまた、ハイテクノロジー技術から排斥されているわけでもない。中国はネット利用者が2.21億人、携帯電話利用者が5.39億人の世界第二のインターネット大国であり、世界トップの携帯大国である。経済面、テクノロジー面での同化と同時に、中国は現代政治制度、社会管理、文化交流の面でも巨大な努力を払ってきた。中国共産党は法による治国、民主政治という目標を宣言し、公民の政治への参与、党内民主、反汚職、行政管理体制改革の拡大も小刻みのすばやい前進を見ている。

 民衆から政府に至るまで、中国がこれほど北京オリンピックを擁護し、愛するのは、文化的な面に立って、世界と平等に交流したいという、ある種の切実な願いと誠意ある努力を表している。中国の対外開放実施からすでにまるまる30年たち、中国の人々は実質的な行動で、その昔ヘーゲルがため息をついた、「中国はすべての例外中の例外だ。ロジックは中国にいたると通用しない」という状況を収束させた。中国の人々にとって北京オリンピックは偉大なチャンスなのだ。80年代の中国の政治論争のもととなったテレビ番組『河殤』のナレーションはこう言っている。
 
 太平洋からとこしえに青い波が打ち寄せ、
 この大陸に横たわる古くからの民族を静かに呼び起こそうとしている……
 我われは今、混沌から透明に向かおうとしている。
 我われはすでに閉鎖から開放に向かっている。
 千年の孤独のあとで、黄河はとうとう紺碧の海を目にすることができたのだ。

西洋文化の覇権が中国の民間に引き起こした反発
 
 遺憾にも、中国による世界文明との接合の善意と誠意はたびたび文化的偏見を深く抱く西洋メディア、政府、さらにはその国民によって誤解されている。このような文化的蔑視、経済障壁と政治的傲慢、軍事的打撃は、容易に中国の若者にアヘン戦争から始まり、民族心に堆積してきた100年来の屈辱を思い起こさせる。

 たとえば今回国際的に大きな波を引き起こしたチベット問題において、過去チベットに一度非服従の傾向が現れたのは、イギリス帝国主義によるそそのかしが関係している。イギリス軍が亜東、江孜を侵略し、チベット族軍隊は国家を守るために反撃に出た。ダライラマ13世はイギリスに投じて清国に反旗を翻し、インドに亡命するという苦しみを経たが、最後には悟りを取り戻し、ラサに戻り、再び中央政府に帰順し、はっきりとイギリス人が仕立てあげた「マクマホンライン」を拒絶した。近現代中国の内憂外患において、チベット族と漢族同胞はともに中華民族としての苦難に沈み込み、西洋の覇権に直面しつつ内心は悲憤、屈辱、そして不満に満たされていた。チベットの人々の恐れを知らぬ勇敢さ、チベット族指導者の深い大義の悟りは、中華民族の凝集力、戦闘力の重要な構成要素であり、中国の領土の保全性に一物持つ政治勢力をひるませた。

 この一月の間、新中国建国59年に対する政治的蔑視、中華民族のアヘン戦争以来168年に対する文化的軽視、そして中国改革開始30年後の平和的台頭に対する排斥がいまだに存在することをまざまざと見せ付けられた。あるものはすでにヒステリーの域に達している。CNNの司会者カファティが中国人を「暴徒とならず者」と称し、中国の輸出商品を「ごみ」とした発言はその一例である。

 わたしはここ数日来、一部都市の「カルフール」に集まって抗議する中国の若者たちのことは理解できる。しかし、彼らのボイコット行為には賛同しない。中国はすでにWTO加盟国であり、外国商品と企業のボイコットの呼びかけは聡明な方法ではない。我われは狭隘な民族主義と大衆迎合主義が若者に与える影響を十分警戒しなければならず、政府もまた中国の投資環境の悪化を防止する措置をとる必要がある。しかし、わたしはまた、中国の人々の歴史的な悲しみの鬱積、そして一部西洋メディアによる今回のオリンピック聖火リレーにおける中国に対する拙劣な抑圧が引き起こした反発に対しての、西洋社会の理解と尊重を求める。力を込めれば込めるほど、反発の力は大きいものだ。西洋社会はそれをきちんと反省すべきである。

 多くの中国の若者は、西洋の一部メディアとNGOがラサとその他チベット族居住区における騒乱の事実真相、漢族とチベット族の複雑でさまざまな民族関係に対して主観的な切り取りと一方的な解説を行ったことについて、彼らを許せないと考えている。3月14日にラサで起こった騒乱では、明らかに漢族住民が少数の過激な暴力的なチベット人の暴力、破壊、強奪の対象となったのに、彼らは逆にチベット人を大規模な被害者と呼んだ。中央政府が多量の資金を投入してチベットの発展を支援し、内地から人材を送り込み、基礎教育を支援し、現代テクノロジーを普及させ、チベット入り鉄道を建設しているのは明らかで、多くの努力は完璧だとはいえないものの、すべてをチベットの固有文化の破壊を狙ったものと言いくるめてしまうことは、最低の公平さと公正さに欠けたものではないだろうか? 西洋人は我われのチベット族が永遠に交通が遅れ、情報が途切れ、狩猟と採取を生きる糧とする社会であることを望んでおり、ある民族が取り残されて遅れたままとなることを代価として、初めて西洋人の雪山聖域に対する賛美が満足できるものとなるとでもいうのだろうか?

 多くの中国の若者は、西洋の一部メディアとNGOが中国の人々と中国政府のオリンピックに対する情熱を徹底的にあざ笑っていることについて、彼らを許せないと考えている。オリンピックの組織的な詳細において、我われはできる限り受け入れ側としてなすべきことをしており、それは国際慣例的に見れば多少未熟で不器用で、たびたび善意から失敗を引き起こしているものの、それは結局中国の人々が世界文明と積極的に接合しようと試みていることを示すもので、そこには西洋文化との対話も含まれている。しかし、我われの誠意とさまざまな努力は、オリンピック聖火リレーのように一部の西洋関係者の囲い込みと封じ込めに遭っており、それは寛容ではなく、さらには理知的なものでもない。

我われもまた外部に対する不寛容性に警鐘を
 
 西洋の文化的覇権に抗議し、存在しているかもしれない政治的陰謀を抑え込む際、我われもまた自分の身を振り返る必要がある。オリンピックは、WTOと同じく中国に人類の普遍的文明というボーナスを分け与えてくれると同時に、国際社会の中国に対する要求を示すものであり、中国だけの意志でどうなるものではない。国際体系への無料の快速列車は存在しない。オリンピック精神は文化の差に対する容認と超越を主張するもので、世界公民としての心の広さで、文化背景の違い、価値感の違いを認識、理解し、多元的な環境における調和ある付き合いを学ばなければならない。中国と西洋の間における文化的な隔たりの壁は中国と西洋の両面から突き崩さなければならないことになる。ならば、我われ自身の作業の進め方には、国際社会の往来方法、表現方法に比べて、どのような改善の余地があるのだろうか?

 中国もかつて外部に対して不寛容だった。1972年、周恩来総理の招きに応じて、イタリアのアントニオーニ監督が中国を訪れ、ドキュメンタリー『中国』を撮影した。アントニオーニ監督は「文革」においてうるさく繰り返されていた政治的な言い回しではなく、一般の中国人の日常生活と情緒にレンズを向けたために、厳しく叱責された。「人民日報」では命を受けた論説員が「毒のある心、卑劣な手法」という文章を発表し、『中国』に「反中国映画」のレッテルを貼った。外交部(訳注:外務省に相当)は江青が失脚して初めて、その文書においてこの事件が「他人を強要し、外国人に不良な影響を与えた」ことを認めた。中国の文化部長(訳注:文化相に相当)はイタリアを訪問した際に、わざわざアントニオーニのもとを訪れ、謝罪した。

 近代史上でも、真っ先に目を世界に向けた仲間に対して非常に心痛な誤解と排斥が起こっている。中国初の外交官、郭嵩Zは英仏公使を務めている間に、朝廷の上流階層に「二君に仕える売国奴」と弾劾され、その著作『使西紀程』の原版は破壊され、郭が病気を理由にその職を辞して故郷に戻ってから、家の入り口には地方官によって彼を貶め、罵る大字報が貼られた。

 今日、我われは西側に向けて厳然と力強く中国の国家利益、民族の威厳を表す際において、一方で多元的包容力のある文化の心を維持し、育てる必要がある。我われは理性的に自身の立場を表現し、また己と違う声には慎重に対応しなければならない。障害を持った聖火リレー走者の金晶がパリで身体で聖火を守れば、我われは声高く彼女を賛美するのはよい。しかし、彼女が「カルフール」ボイコットに反対を唱えたときに、反目して仇のように見なすことがあってはならない。我われは十分な正当性を持って、一部の西洋メディアの事実を失した報道と悪意ある論評に厳正な抗議をし、西洋メディアの中国の現実に対する「色眼鏡」「ステレオタイプなイメージ」がまだまだ存在することに対して、我われは長期にわたり、説明をし、批判には反論するなどのコミュニケーションを図るとともに、もう一つの文化による観察を平然とした態度で受け入れなければならない。西洋が信奉する情報公開と言論の自由という文化環境においては、悪意と敵意のこもった報道はそのうちの声の一種に過ぎず、我われは不満を表現しても、それが徹底的に消失することを期待すべきではない。

 多元的な世論環境では、ニュース報道の各社の意見反映は大体において均衡が取れている。我われに必要なのは、中国の立場の感染力を増やす方法なのだ。ニュース報道は動態的な過程であり、情報封鎖と文化の隔たりによって引き起こされた事実を失した報道は事態の継続的な進展、後続報道において補充、是正されるはずだ。オリンピックを間近に控えた国が、事実を失したり、悪意のある報道を理由に、外国主流メディアに対する民衆の大規模な敵視を引き起こすべきではない。というのも、主流メディアの背後にはその所在国のかなりの民意が含まれているかもしれないからだ。民意と民意の不一致は対話によってしか解決できないのである。

 中国と西洋文化の隔たりを激化する要因は、中国と西洋間における情報の落差である。我われは引き続き中国内部の情報の透明度を引き上げ、さらに中国の人々の知る権利を高く尊重する必要がある。突発事件、集団による事件が起こったとき、民族関係、宗教問題に関わることなどは、すぐに報道し、真摯に、透明に対応し、ニュースを公開したとても、この世が終わることはないのだ。我われは国内で効果を上げているメディア規制が対外宣伝にも同様の効果を生むとは思ってはならず、必ず多元化された声の中での、突発事件におけるリスクPRも含めたメディアPRを学ばなければならない。ラサの「314」騒乱において唯一現場にいたイギリス誌『エコノミスト』の駐北京記者、ジェームズ・マイルズが送った報道は、チベット自治区政府が発表した「警察は騒乱の現場において非常に慎重な態度をとった」が真実であることを証明してみせた。つまり、外国レポーターは必ずしも政治的な偏見を持つものではなく、さらには敵対分子でもないことを意味するものだ。

 中国には社会の安定が求められており、公権力は適度な権威をもって社会的な秩序を維持しなければならないが、公権力は完全に陽光の下で運用されるべきなのである。透明と開放は危機を乗り越える最良の方法である。わたしは国務院新聞弁公室の副主任、蔡名照がラサ騒乱の後にロイターに対して語った、「中国政府は外界の叱責によって怒ることはせず、また選手が書いたマイナス評価の内容を含むブログを閉鎖することはなく、オリンピックが世界中の汽車がさまざまなアングルで中国を見るチャンスとしたい」という言葉に賛成だ。

 我われは、オリンピック開催の成功には経済力とスポーツの実力以外に、さらに政治、文化、社会、人々の素質などのソフトパワーが必要であることをもっとはっきりと知るべきである。経済の台頭、スポーツでの金メダルだけで自分が偉くなり、天下を制圧したように感じるのは、自己陶酔、自己イメージの毀損でしかない。
 
民族、宗教関係の処理には高度な人文素養が必要
 
 チベット、新疆と台湾の問題は、中国の革新的利益、すなわち国家の主権、領土の保全性に関わるものだ。これは大前提である。この大きな前提の下、さらに多くの具体的な問題、たとえば民族問題、宗教問題、社会問題、歴史問題があり、具体的な問題を具体的に分析する必要がある。

 平和的な発展を望む中国の人々は、少数のチベット独立暴力分子とはもちろん相容れない。これは民族の大義、根本的な善悪である。しかし、漢族とチベット族の二つの民族間には長期にわたっていまだに完全に解消されていない隔たり、誤解、恩讐があり、またそのすべてが根本的善悪の問題というわけではない。このために、忍耐強いコミュニケーションによって正直な共通認識を求める必要がある。漢族は政治、経済面において長期にわたって先頭に立つ立場の民族として、特にその欠点と不足をあえて認める必要があり、特に過去の歴史においてかつてチベット族にもたらした傷についてあえて反省する必要がある。「大躍進」後の3年間にわたる大飢饉において、チベットの同胞は漢族同胞と同じように飢えにあえぎ、以前は牛、馬、ロバの飼料とされていた油かす、麦ぬかもまたチベット人がいっせいに奪い合う食物となった。「文化大革命」における狂乱において、チベット族居住区の寺もその攻撃の対象となり、経典は焼かれ、僧侶と尼僧は還俗を迫られ、一部地方のチベット民族は茶碗も買えないほどの貧しさに追い込まれた。パンチェンラマ10世はこれに憤り、7万字に及ぶ手紙を毛沢東に送り、その白黒がひっくり返った時代に逆に秦城監獄へ送られてしまった。

 我われは十分な理由をもってして、改革開放以来、胡耀邦がチベット族の同胞に対して満腔の同情を注ぎ、中央政府が有り金をはたいてチベット(の経済)建設を支援したことを示すことができるだろう。チベット財政の10元中9元は中央財政から移転支払いを受けたものである。2007年のチベット人一人当たりGDPは1万2千元を超え、国内の多くの省や市を上回っている。チベットは全国に先駆けて地方都市の無料義務教育を実現し、都市住民の医療保険は全面的にカバーされ、さらに農牧民もまた一人当たり毎年100元の医療補助を受けられるようになった。しかし、この水準はまだまだ低い。中央政府は巨額を惜しまずにポタラ宮、ノルブリンカ寺とサキャ寺の補修を行い、チベット九大仏教プロジェクトを組織し、またチベット経典『大藏経』の校勘出版を組織し、チベット族の英雄叙事詩『ケサル王伝』の整理を急いでいる。これらはどれも、漢族、チベット族の同胞が目にしている動きであり、どんな人間もこれを消し去ることはできない。

 もちろん、我われもまた、チベットに豊かさを注ぎ込むことが幸福を注ぎ込むことではないことを認識すべきである。チベット族は非常に豊かな精神生活を有する民族であり、チベットに対する支援は「唯物」のみではなく「唯心」である必要がある。十分にチベットの人々とチベット仏教の精神的な希求に注目し、チベット族独特の文化や風俗習慣をきちんと尊重し、チベットの生態環境と人文環境を丁重に愛護し、草原における過度な放牧、森林資源の乱伐、珍種動物の乱獲を制止しなければならない。

 ダライラマに対しては、我われは改めてチベット独立に反対し、暴力に反対するという政治的原則をしっかりと繰り返すと同時に、精神文化面におけるコミュニケーションと批判をきちんと行っていく必要がある。ダライラマは政治利益を含んだ訴求を、ある種の精神文化の純潔性の防御に仕立て上げることに長けている。それを単純に政治的レッテルを貼ったり、さらには人格に対する罵りを行ったり、「袈裟を着た悪人、人面獣心の悪魔」と罵ったりすることでは、政治的な面において相手をこてんぱんに倒すことはできず、逆に精神文化面において国際社会に交流や対話を回避する、ぎこちなく無礼なイメージを印象付けることになる。

 我われはまた、チベット経済の発展過程において避けることができない社会問題の存在、たとえば基層幹部と群衆の関係をいかに融合させるか、内地の商業経営者と現地のチベット人がいかに共同で豊かになるかという問題を正視し、認める必要がある。我われにはさらに臨機応変な社会の管理体制と民族の自治メカニズムが必要であり、社会問題の政治化を避けなければならない。優れた指導者は常に政治問題、意識形態の問題を分解し、ある具体的な社会問題へと転化し、情勢に応じて有利に導き、それぞれの問題を撃破することに長け、逆にことあるごとにさまざまな利益グループが提案するさまざまな利益の訴求に「下心」や「政治的陰謀」といったレッテル張りをし、それらの訴求を政治化された問題に向けて引っ張り、爆発させようとしないものだ。このため、チベット問題を処理する関連担当部門の指導者は必ず、伝統的な政治の考え方から抜け出し、さらに事実を求める態度によってチベット独特の社会矛盾と民族、宗教の問題を処理する必要がある。

 漢族とチベット族の二つの民族には、孔子、関羽、包拯など共通して尊敬される歴史的人物がいる。古代において、漢族とチベットの間で和親、修好、祭事、盟約、恩典などが絶えず行われていた。ラサのジョカン寺前の唐藩会盟碑では、漢族とチベット族は叔父とおいという関係で呼び合っている。唐代には文成公主が吐藩国王ソンツェン・ガンボに嫁ぎ、中国建国初期において解放軍がラサに駐留した際、内地から先進的な科学技術と文化的聖火を持ち込んだ。チベット仏教もまた内地に広く伝播した。北京の擁和宮、頤和園、白塔寺、青海のクンブム寺、内蒙古自治区フフホトの昭廟、山西省の五台山、杭州の霊隠寺にはどれもチベットの影響を深く受けた建築、彫刻、壁画がある。チベットの土地改革は農牧民の社会的地位を大きく引き上げたが、漢族とチベット族の社会における関係は根本的に変わっておらず、漢族とチベット族の調和には十分な信頼が必要とされる。

 わたしは香港フェニックステレビの論説員による、「中央政府で少数民族と宗教事務を管轄する職員は高度な民族学、人類学の資質を有すべきであり、そうしてチベット人の心のうちに入り込み、チベット族文化に傾倒するほどの認識が必要だ」という見解に賛成である。乾隆帝はパンチェンラマ6世を招くために、帝王の尊厳をもってチベット語の履修に励んだ。わたしはここで、政府のその位置づけをさらに高くして、社会秩序の保護者でありつつ、さらに多くの意見が噴出する社会仲裁人という役割を演じ、中国という大家庭における漢族とチベット族という二つの偉大な民族間の隔たり、誤解、衝突の仲裁人となり、同時にチベット族内部の精神指導者ダライラマと過激な暴力分子(たとえばチベット青年会議)の間の仲裁人になろうとするのがよいのではないかと提案する。ここにおいて、康熙帝の「帝王治天下、自由有本原、不専恃険阻。守辺之道、惟在修徳安民。民心悦則邦本得、而辺境自固、所謂衆志成城是也」という諫言を思い起こそう。これこそ、歴史におけるチベットの統治経験の深刻な総括である。
 
平常心で世界に向き合う
 
 チベットは黄河流域、両河流域、インダス河流域という三大古代文明の間に位置しており、ヤルツァンボ江はユーラシア大陸とインド大陸の衝突によって生まれた裂け目である。世界の尾根である青藏高原、海抜が泰山より3倍も高いヤルツァンボ江を文明間の隔たりにしてはならない。

 駐英中国大使、傅蛍は『サンデーテレグラフ』紙に良い文章を寄せ、「中国が世界に溶け込むためには、真心さえあればよいというわけではないようで、中国と世界の間をさえぎる壁はあまりにも厚すぎる」「わたしは、中国の人々と西洋の人々の相互に対する視点が急速に対立へと向かっているのを危惧する」と言った。聖火リレーはオリンピックの前奏でしかなく、次の焦点は北京に移る。オリンピックの期間中、各国の選手、審判、観光客、NGO及び政府首脳が北京にやってくるとき、必ずさまざまな価値観と社会的な評価の視点がもたらされる。北京オリンピック委員会はなんども「オリンピックを政治化しないように」と呼びかけ、北京オリンピックがチベット、人権などの問題に巻き込まれるのを避けたいと考えている。しかし、我われは北京にやってくるすべての外国人に、スポーツのためだけに来るようにと要求することはできず、さらには彼らに我われと同じように問題を観察、評価するように求めることはできない。我われはいかに己の立場と違う声に対応していくか? これは我われがグローバリゼイションに溶け込むための試練である。

 明らかに、政府はできるだけ早く全能政府の役割から抜け出さなければならず、国際社会に対して、すべての発言主体が同じ視野、同じ立場から発言するよう求めてはならない。中央政府は国の統一、社会秩序に注目し、北京市政府は北京の安全、交通、反テロに注目し、北京オリンピック委員会はオリンピックの正常な運営、干渉回避に注目するべきなのである。

 これと同時に、市場化されたメディア、NGO、インターネットの「オピニオンリーダー」および広範なネットユーザーに発言の主体になってもらい、彼らによるチベット問題と北京オリンピックに対する独立報道と評価を奨励し、政府の立場と必ずしも一致しない声を出させるのもよいだろう。ここ数年来、アモイのPX事件において、南方の雪害において、ネット市民記者が自発的に現場へと向かって撮影取材を行い、独自のソースで報道し、正式なメディア報道の不足を補った。今回のラサ騒乱において、もしラサ市民、被害者、観光客がインターネットでそれぞれの見聞と見解を述べ、世界中に騒乱の真相や中国人の気持ちを理解させることができれば、害よりも利のほうが大きいはずだ。チベット経済と人権の改善については、民族政策の進歩、チベットの現代化の過程における文化的な特徴への影響、漢族とチベット族間の誤解、敵意及びその解消は、非政府機関とその人々による評価のほうが効果はもっと良いものになるはずだ。情報の透明度と世論の多元化は手軽に大きな問題を解決し、敵意を解消するための良法である。

 中国と西洋の間で同じように騒動が持ち上がっていた1999年、5月にわが国の駐ユーゴスラビア大使館が爆撃されてから、12月にWTOの中米協議の署名にこぎつけるまで、半年あまりの時間をかけて危機を転換した。西洋の聖火リレー騒ぎから北京オリンピック開幕までに残された時間は100日のみ、なんと厳しいことか! 慰めは、中国と外国の有識者がすでに、近く到来する盛会への反撃を薄め、調和を生み出そうとそれぞれに努力していることである。

 聖火騒ぎの渦となったパリからは、フランスのクリスチアン・ボンスレ上院議長が4月21日上海に飛び、飛行機から降りてすぐにパリでデモ活動家に襲われた障害者の聖火リレー走者金晶を訪問した。議長はこの上海女性にサルコジ仏大統領の見舞いの手紙を渡し、手紙には金晶がパリで「認められない襲撃を受けた」ことに「不安を覚える」と書かれており、この事件が「フランスの人々の中国の人々に対する感情を表すものではない」と宣言、「中国の人々がこれに傷つけられたと感じたことは理解できる」としたためられていた。これまで感情豊かとされてきたフランスで、政治家は冷静になり始め、いかに中国からの怒りの情緒を緩和するかを考慮している。

 中国の習近平・国家副主席はこのほど、アメリカのNBCテレビオリンピック部門のディック・エパーソル主席一行と会見した。中国メディアと民衆によって激しくCNNが攻撃され、西洋の主流メディアがラサ騒乱の報道の不誠実さと中国に対する敵意が問われたそのとき、国家副主席はNBCのオリンピック報道に謝意を示し、同時に各メディアグループに「共に努力」し、オリンピックの放送を円満に行っていくよう求めた。これは一般にはない対応である。我われは必ず積極的に、国際メディアとの交流の方法を求め、客観的公正な報道を奨励し、お互いを中傷するような敵意を引き下げなければならない。

 中国政府は新華社を通じ、このほどダライラマの私的代表との接触、話し合いを図ることを発表した。社会運動理論における教典的な言い方でいえば、温和派を組み込み、過激派を隅に追いやるという方法である。アメリカはファタハやハマスに対してこの戦略をとっており、我われの参考に値する。我われはダライラマに、その影響力を発揮してチベット族の過激分子の暴力行為を抑制し、ノーベル平和賞受賞者の身分に見合う、チベット族を含む中国の平和的発展に有利なことを多くするようにしっかりと促すべきである。

 実際のところ、中国政府は長期にわたってオリンピックにふさわしい開放的な環境づくりのために大きな努力を払ってきた。オリンピックの慣例を尊重し、中国政府は2007年1月1日より外国人記者の中国国内における取材規制を緩和し、首都外での取材において専門の申請は必要とせず、「取材先機関及び個人の同意さえ得られれば」よしとした。これまでアクセスが難しかった一部のウェブサイトも「ウィキペディア」「ボイス・オブ・アメリカ」から「プレイボーイ」に至るまで、すべて今ではアクセスできる。オリンピックに関わる場所では、海外の新聞、雑誌を販売している。中国の文化部(訳注:文化省に相当)はさらに世界中に「文化インビテーション」をばら撒き、80カ国あまりの優秀な演目260プログラムと160企画にわたる美術展覧会を招聘し、オリンピック開幕前に北京で展開する。

 中国はまさに平和的に台頭している。中国はすでに家庭電化製品、革靴、紡織品を輸出しており、中国はさらに思想、価値感の「輸出」、生活方法、作業態度およびおちついた大国の態度を「輸出」すべきである。オリンピック精神は人類の普遍的文明価値の一部であり、多元的に表現される人権意識と本質的に一致するものだ。北京オリンピックの開幕前後にはある種の雑音が出現するかもしれないが、それもまたオリンピック文化ムードの一部である。オリンピックを手にしたからといって神聖不可侵だという気分になったり、ことあるごとに他人を「オリンピック精神にもとる」と叱責してはならない。軽率に他人を「反オリンピック」と叱責することは避けるべきである。

 オリンピックは主催都市、主催国の政府と国民が成熟した文明的な心をもち、理性、法制の原則に基づいて、反対意見に対応し、開放的で調和の取れた世論環境を作り、国際社会において尊敬に値する一員となることが求められている。海峡のあちら側の「感謝から出発し、謙譲から始める」というスローガンを借りるべきである。このような態度で社会の不協和音、たとえば貧富、都市と農村、民族間の差、隔たり、誤解、そして歴史的な怨念を解消しよう。我われがオリンピックを開催する過程において、あれこれと欠点や不足があることは間違いないが、温家宝総理が今年の全国「両会」(訳注:政治協商会議と全国人民代表会議)の記者会見で、「中国人は心からオリンピックをきちんとやり遂げたいと願っている。わたしは13億の人々が世界に微笑み、全世界の人々も微笑みで中国に応えてくれると信じている」と、丁重に語ったとおりである。

 科学が発達し、経済がグローバル化した2008年、中世期の十字軍の東方征伐は起こりえず、さらに清朝末期の義和団や八国連合軍の乱も起こりえない。北京オリンピックは真心で全中国の人々と世界中の人々の手を結ぶものであり、我われのこの地球に理解、尊重、そして博愛の伝奇を伝えるものであるべきだ。北京オリンピックのスローガンは、「ワンワールド、ワンドリーム(一つの夢、一つの世界)」なのだから。

(了)


posted by wanzee at 19:24 | Comment(8) | TrackBack(1) | ニュース記事から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは 楽しい記事を拝見させていただいてありがとうございました。私のほうにも遊びに来てください。http://ameblo.jp/gold3939/
Posted by sakku at 2008年05月04日 21:03
↑↑↑

sakkuさん、これを「楽しい記事」とおっしゃるあなたは……?
Posted by wanzee at 2008年05月04日 21:42
素敵な翻訳でした。ありがとうございます。
Posted by b.hatenaから at 2008年05月05日 02:52
「休日つぶして金にもならない翻訳をやった、わたしのメンツ」だけでこれほどのすばらしい記事を無料欄で公表されたことに感謝します。

中国政府の思惑の広さがあることが見えただけでも、何となく幸せな気分になりました。

翻訳ご苦労様でした。
Posted by 松永 at 2008年05月05日 16:37
しばらく先の中国が見えるようです。ちょっと保存して、また読み返してみます。
Posted by kuro at 2008年05月08日 15:43
ふるまいさん

本日のJMMは特に興味深かったです。中国の若者についての言及を一部引用します。
「彼らは発言の手立てを見つけ始めた。もちろん、その表現は国際的な舞台からすれば、まだまだ稚拙かもしれないし、見慣れぬ方法がまた出現するのかもしれない。しかし、彼らのそれが今後どういう形で成熟し、周りを納得させ、社会を変えていくのか。」
質問があるのですが、ふるまいさんがお知りの範囲で教えていただければ幸いです。西洋から中国への反応は実際中国の方々の思考や行動に影響を与えているのでしょうか?ここ最近は中国、特にネチズンからの感情的な反発は多く目にしましたが、果たしてそれだけなのだろうか?と興味があります。
Posted by Isao at 2008年05月08日 16:33
中国内少数民族の状況を思うと、受け入れられる内容ではありません。しかし中国内でもこのような見解を持っている人がいるという意味で勉強になりました。
それにしても高飛車だなぁ
Posted by hiroyuki at 2008年05月08日 22:51
中国にも話の分かる人はいるんだなと思える、とても理性的な良い文章ですね。
まずは、これを読めるようにしてくれたふるまいさんに感謝します。

ただ、

>ウェブサイトを中心にちょっと話題になっている

ここが気になります。どう話題になっているんでしょう?
その通りと支持するのか、理屈は通っていると理解するのか、あるいは売国奴と罵られているのか。支持の声が初めは少なくとも増えつつあるんだったら期待が持てるんですが、王千源さんの事件もあるし希望のない想像をしてしまいます。

「あるチベット族女性のメール」のエントリ(とコメント)や他で時々感じるのですが、ふるまいさんの記事は、どうも上澄みの綺麗なところだけをすくって差し出されているような感じがするのですよ。

アクションだけでなくリアクションまで見ないと、私は楽観する気にはなれません。
この人の考えが中国政府に大きな影響を与えるとは思えませんし。どちらかというとこれに対する『世論』(どういう母集団かは知りませんが)の方が影響は大きいんじゃないでしょうか。


しかし、チベットに対する姿勢は相変わらずですね。
今の時代に「漢族はチベットにこれだけの施しをしたのだ」という理屈で占領が正当化されるなら、大日本帝国の朝鮮併合なんてのはいくら感謝されても足りないくらいですね。
Posted by ブランドー at 2008年05月11日 08:34
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

[中国][民族]GJ!
Excerpt: 先日紹介した「皇甫平」によるチベット問題についての論説ですが、なんとふるまいよしこさんが全文を訳してブログで公開されています。必見かと。 http://wanzee.seesaa.net/artic..
Weblog: 梶ピエールの備忘録。
Tracked: 2008-05-04 20:52
Creative Commons License
この作品は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
Copyright © WANS Factory. All rights reserved.
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。