小泉政権末期、最後の8月15日に「有終の美を飾ろうとするコイズミ首相が靖国を詣でる」という予想が飛び交った。わたしは、「ここまで靖国でこじれているのに、それはないんじゃないか」と思ったけれど、「行くぞ、行くぞ」という声は高かった。
中国でもそれを受けてピリピリムードが漂った。8月を前に靖国と日本との歴史回顧を特集したメディアも少なくなかった(けど、中国人に向けて中国語で中国的アジテーションをしてどうなるのだろうと思った。さすが政府の舌といわれるだけあるという感じがした)が、
あのじわじわというテンションはすごかった。というか、ねっちょり感が、ニュース価値、興味を超えて、もう「指令全う」の域に達しているのが良く分かった。だって、あれだけいろんなメディアが扱っているのに、視野は一つ、「コイズミの靖国参拝阻止」(それも中国国内向けアジテーションで。そんなゲリラ的思想は今も昔も変わっていない)だったんだから。
そして、8月15日を過ぎて、騒ぎも去った頃、わたしは李纓(リー・イン)と会った。
彼に会ってみたいと思ったのは、彼がフェニックステレビでQさんと(あの時やっぱり)靖国解説の番組を持っていたこと、そして同時に中国で多くの人に見られているCCTV(中央電視台)の番組に彼が準備している作品のクリップがかなり使われていた(わたしは後でネットで見た)こと。中国人の身でありながら、靖国に興味を持つのはわかるとして、9年間も通い続け、カメラを回し続け、さらに周辺の人たちに果敢なインタビューを行ったということに、そのパワーを感じたからだ。
彼がなぜ、そんなパワーを持ち続けることが出来たのか、のぞいてみたくなったのだ。
言っておくが、わたしだって、「靖国」とか「南京」とかに多大な興味を持っているわけじゃない。できれば触れたくないし、触れられたくもない。ただ、日本人でありながら「南京」を発掘し続けている人や、中国人でありながら「靖国」を発掘し続けている人、それも個人の力で、という場合、やはり尊敬に値する、とわたしは思う。
フェニックスで流れた映像では、僧侶の身でありながら兵士となった父に対する、これまた僧侶の息子の言葉、そして靖国に集う人々に抗議をする大学生の、それまで中国人視聴者が目にしたことがなかった姿があった。反撃に遭い、警察ともみ合い、混乱中に怪我をしてパトカーで連れ去られる日本人大学生の姿に、多くの中国人視聴者から「ショックだった」「彼はその後どうなったのか」と問い合わせが続出した。
しかし、李纓だって何度も同様の混乱に巻き込まれている。それなのになにが彼をそこへと駆り立てたのか、そういう話を聞きたかった。
李纓の答は簡単だった。「日本にいる中国人として『靖国』は避けることの出来ない話題だった。」
でも、すべての日本在住中国人が「靖国」にかかわっているわけじゃないでしょ。
「考えてみたら分からないところがいっぱいあったから」
……「考えてみたら分からないところがいっぱいあった」、確かにそうだ。突き詰めてみると、この世の中には分かっているつもりでも分かっていないことがたくさんある。
「9年間だからね、回したフィルムがたっぷりある。これからその編集にかかるんだ」
CCTVとフェニックステレビ、さらにはそこから派生した多くの中国メディアの報道によって、李纓が(そのときもまだ)撮り続けていた「靖国」題材が注目され、そのときにはすでに日本のメディアからもいくつか取材依頼があったそうだ。
「でも断った、ぜ〜んぶ断った。今はまだ素材状態だし、この時点で騒がれるのはイヤだから」
晩夏の風に吹かれながら、ビールを飲みながら、編集作業中だったのに疲れも見せず、李纓はいろんな話をしてくれた。……わたしの呼び出しに彼が応えてくれたのは、偶然にも彼の親戚がわたしの友人だったからだ。
あれからオーストラリアに行って最終的な編集作業に入ると言っていた。
「素材にはいっぱい中国人が知らない場面がある。9年間も撮り続けたんだからね」
今年初めに「どんな具合?」とメッセージを送ったら、「もうすぐ完成。もうちょっと待ってね」と返事が返ってきた。
そうしてやっと出来上がった『靖国』。反日であれ、好日であれ、今の中国の情報封鎖に激する人たちよ、言論の自由を守るためにまずは自分でできることから始めよう。
参考:毎日新聞社説「『靖国』中止 断じて看過ごしてはならない」
>結果としてコイズミ首相は8月15日、靖国には参らなかった。
これはいつのことをおっしゃってるんですか?
小泉さんは任期最後の年の2006/08/15に靖国神社に参拝されてますよ。
春の大祭と間違えてました。ごめんなさい。書き直しと来ます。