2008年04月01日

「あるチベット族女性のメール」

このところ非常に気に入って読んでいる、アモイのPX工場建設反対活動家連岳氏のブログ『連岳的第八大洲』「あるチベット族女性のメール」(中国語)が紹介されていた。メールでは、チベット族でありながら、進学率を考慮して漢語学校に進み、その後チベットを離れたために、「聞き取れるけど、チベット語を話せない」チベット女性の経験がつづられている。

その内容は参考になるけれど、興味深いのがこういう「第一情報」の提供に対するネチズンたちの反応だ。ブログに寄せられたコメントをつらつらつら……と読んでいるうちに、彼らの「チベット」「チベット暴動」「中国とチベット」「民族」「国」といったものに対する日ごろの考え方が透けて見える。もちろん、中には目の前の話題に対して「道を見出そう」と努力している最中の人の声も残されていて、若い漢人(たぶん、主に多くが)の思考方法を知ることが出来る。

「チベット族女性からのメール」に寄せられたコメントで、今日読んで一番興味深かったのが、gen126という読者のこれ。

確かに我われの多くの人たちがほかの民族の習慣に十分な尊重を払わない。たとえば、ぼくが中学の頃、回教徒(回族ホイズー)を「回子(ホイズ)」と皆呼んでいた。ぼくらは彼らにちょっかいを出さないようにしていた。というのも、非回教徒の同級生とけんかしてもたいしたことがないけれど、回教徒の同級生とけんかをしようものなら、バカを見るのは自分だ。彼らはすぐにトラックいっぱいの人を呼んできてこてんぱんにやられるからだ。学校だって手が出せない、それは民族問題だったから。だから、ぼくらは「回子には手を出すな」というしかなかった。

ほかにも、チベット族女性が言っている問題のなかで、民族の前提を消し去ろうという動きは存在すると思う。たとえば、河南人と東北人、農村住民と都市住民、上海人と蘇北人、方言と標準語など。これは我われの社会病で、強いグループには弱いグループに対する尊重が欠け、そして弱いグループは自分を守るために往々にして非常に極端な行動に出る。

つまり、俺たちはいまだに社会的でなく、調和性もないということだ。

ネットで左右上下の過激な意見も呼んでいるが、どれも(ネットが使える)若い人たちばかりだ。彼らは政治的な挫折を経験していないし、いまさら「天安門事件」なんて言ってもぴんと来ない世代だ。ただひたすら、のぼり気流にある自国に、もっともっと世界舞台を登ってほしいと願っている層なのだ。

そろそろ、挫折を経験した40代、50代、60代、70代の声を聞いてみたくなったぞ。


posted by wanzee at 12:17 | Comment(3) | TrackBack(0) | ひろびろ中国いろいろ中国 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
……つまり、かろうじてこの一人のみがチベットについて同情的で、後はほとんど強硬派ということですね。
そのほかには40代以上の口を噤んでいる層には探せばいるかもしれないということでしょうか。

しかし、国家に対する疑問・不満を持たない(様に見える) というのは、若い世代は「圏圏」を自由とは違うものとは認識していないということでしょうか。まあ知らなきゃ比べられないよなあ。
Posted by ブランドー at 2008年04月01日 14:29
ブランドーさん、

「かろうじてこの一人のみ」かどうかは、リンクを提示しておきましたのでご確認ください。
Posted by wanzee at 2008年04月02日 14:49
中国語は読めないので、残念ながら確認できませんでした。
ふるまいさんの目から見てどの程度だったのか、教えていただけませんか。
Posted by ブランドー at 2008年04月04日 02:25
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