今回も、こんな記事を目にして感じることがあったので書いておきます。
「橋下大阪市長、風俗業で働くのが嫌なら、他の仕事に就けばいいですか? 」
たぶん、橋下さんは「ぼくは風俗業の是非を言ったのではない」て言うだろうと思う。確かに彼は言ってない。その点はわたしも彼には同情するし、この記事もちょっと書き手の手前味噌っぽい流れになっているのはいただけないなとは思う。でも社会の広い面からの注目を浴びる政治家として、彼は発言する前にやはりいろんな方面への影響を考えるべきではなかったのか。
その後の言い訳のようなやり取りを見て、そして実は猪瀬知事のNYT記事事件の時にも思い出していたのが、ボストン爆発事件の直後にまずオバマさんが声明を発表した時、CNNなどで「大統領は外国のテロの可能性について一言も触れなかった!」とみんなが論じていたことだ。
「だって、証拠無いじゃん…」と思いながら、わたしもテレビで展開される論戦を眺めていたんだが、逆に言えば、爆発が起こった時、そしてそれがガス爆発などではなく仕組まれたものであることがわかった時点で、人々の気持ちの中に911に代表されるテロ事件が再現されたという意味だ。たぶん、第一報を聞いた日本人のほとんど もすぐに911を思い出したはずだ。
だが、オバマさんは「無差別殺人を目的とした事件の可能性がある」という意味で「テロ」という言葉を使ったが、その「テロ」が信教や特定の主義主張にのっとって行われた、という意味にとられるのを非常に注意深く排除していた。
CNNのスタジオを中心に「大統領が、テロと言わなかった」という点をしつこく論じていたが、そこにいたゲストの一人が「それはそうです。大統領は多角面 への影響を考えて発言しなければならない。彼の一言が世界を揺すぶる。証拠も何もないときに、そんな誤解を生むような発言は、たとえ心のなかで個人的に可能性を疑っていたとしても、大統領、特にアメリカの大統領として口にすることはできませんよ」と言った。
その通りだった。そしてあの衝撃の最中にそれをきちんとやり遂げたオバマさんはやっぱりすごいなぁ、と思った。そして、あの時にオバマさんがむやみやたら なテロの可能性に結び付けなかった結果、ボストン事件の真犯人が明らかになり、それがチェチェンからの移民だったということがわかった時にも、むやみな宗教、地域特定の話に話が飛ばなかったんだと思う。
トップが理性を説けば、社会にも理性が生まれる。トップが大慌てしてはダメなのだ。トップが私心に揺り動かされてはダメなのだ。トップはもっと広い世界を見つめながら政治を考えて行かなければならないからだ。そこのところを今の日本の政治家のうち、どれくらいの人が理解しているんだろうか?
中央集権の弊害を訴え、地方自治の甘えの構造を実行力を以って改革する姿勢が橋本氏へ投票した大阪府民の感覚だったのだろう。先の衆院選でも地方の財源裁量度などは同意しても道州制の理解などなかった。歯に衣着せぬ物言いと実行力が国政にも生かせると国民が信じるのもある意味で自然か。物事の一面だけで簡単に判断してしまう国民の危うさを利用する知恵は働いても己の主張・世界観に厚みがないのことが致命傷だと思い知る、知らせるべきと思う。
安倍総理にも私の政権で何が何でもと焦らずに志を繋ぐ余裕を常に意識して欲しい。
貴重な視点に感謝します。