2012年12月03日

過去になった高度経済成長とバブル:今日のツイートから

昨日の日曜日早朝、笹子トンネルの崩落事故で亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。日曜の朝がこんなニュースであけるとは…

それにしてもその後の報道を読んでいると感じたのだが、こんなに早く高度経済成長時代の建造物にダメ出しが出るとは、きっと当時うはうはだった日本人は考えていなかったと思うなぁ。これって建設業界はどう見るのかな…つか、当時はどういう基準で建てられたのだろう。

もうバブルは潰れた。高度経済成長期の建造物も壊れ始めている。となると、日本の高年層の心の支えというか原風景がだんだんなくなっていくようだ。ここからの日本はやっぱり30代、40代のポスト・バブル世代をバックアップして、彼らに頑張ってもらうしかないしょ。

ポストバブル世代ももう中堅どころ。今だに彼らの能力と観点、価値観を信じられない、というのはただの「老人国」。新しい時代については、彼らのほうがよく泳いでるし、体験してるし、もがいているし、よく知っている。高度経済成長とバブルの昔話に自信の拠り所を見出している人たちは、もう引退すべき。


わたしがいつもそういう流れから「50代以上はもう引っ込め」と言うのは、つまり「舞台上から引っ込め」、その代わりに舞台の下でポストバブル世代を支えて欲しい、という意味。お金も、もしかしたら人脈も、社会的地位もあるのですから、50代以上のあなた方が支えなければポスト・バブル世代には思い切ったことが何もできない。

「おれはまだまだ若い」と言い続けるのはつまり、逆にその前に「もうそれなりに年食ったけど」がついてくる。年を喰ったら喰ったで、きちんと自分の限界と可能性を見極める、それが年長者の仕事のはず。可能性とは「若い世代を自分が出来る限りバックアップしていく」です。それはいろいろ蓄えた50代以上にしかやれない仕事。

こういう言い方をすると「世代間闘争を激化する」という人がかならず出てくるんですが、実際に世代間に存在する理不尽を無視して簡単に「闘争」といって忌み嫌うこと自体が、現実問題の封じ込めをしているとわたしは思う。問題はある、それを認めることから努力が始まるはず。

「舞台上=仕事」と単純に読み替えることも、高度経済成長時の日本の価値観を物語っているような。みな仕事をして報酬を得なければ生きていけないのが経済社会。でも、「舞台」は舞台上で歌い、踊る人だけで成り立ってるわけではない。「舞台下」も大事な仕事が満載している場だよ。

「舞台上」と「舞台下」(含む舞台裏)で社会という「舞台」を支えあう構造を拒絶し、老人ばっかりが舞台を占めて若い人が経験を積むことを、あるいは新たな舞台の見せ方について提言をするのを無視するというのはオカシイ。カネとトシしか重視しない価値観構造を見直すべき。もっと社会をバックアップする重要性を考えるべき。

若い世代に活気や活力のない社会において、活気や活力が生まれようはずもない。中国で目をみはる若い日本人たちのほとんどが、社会矛盾よりもその活気に魅了されている。「その活気は日本にない」と彼ら自身が断言する。若い人にチャンスがない。そういう社会は社会自体が成長できなくて当然。

言ってみれば、日本の行動経済成長もバブルも、若い人に活気があった。若い人に活力を任せて伸びたのではないか。その時代を経験した人たちが、自分の感覚ややり方を今の若い人たち、それも経験を積み、視点も育った30代、40代に押し付けるのは間違ってる。時代は常に変化する。それを受け入れるべきだと思う。

「老人国」日本。「老人であること」が悪いんじゃない。「老人であること」をむやみに振り回すのが悪いわけ。老人の知恵と経験、そして培った人脈や財力、舞台を少しずつ若い人たちに譲り、彼らが力を発揮するためのバックアップに向けて欲しい。それをやれば自然と若い世代から尊重されるようになる。

なにを「経験」「財源」と呼ぶか。もちろん、後者はストレートにお金のことですからない袖は触れず。が、「金出せ」ではなく間接的な形でも「若い世代支援」はできるはず。「経験」は人それぞれ。自分のフィールドで頑張る若人を理解し支えればいいだけですよ。

なんども申し上げますが、「仕事をする」ということは「舞台上」である必要はない、ということ。なぜ、経験をたっぷり積んだ人間が「舞台下」に一歩下がって自分の経験をもとに、新たに「舞台上」にあがった新人たちを支えようとしないのか。そこから考えましょう。
                    
これは「一部の」「余裕がある」人だけではなく一般的な50代以上が持つべき意識。「一部の」「余裕がある人」という言い方で括るのは非常に巧妙な逃げで、「あ、俺はいいんじゃね?」という自己発行の免罪符を生む。これをやっている人は多い。

違うんですよ。50代以上は生きてきた上で経験を良くも悪くも持っている。それを裏方に回ることで活かせ、と言っているのです。もちろん、良い方に活かせ。そしてそれが活きる社会を作る努力をしろ。

「そんな社会を作る」のは若い人の力だけではできません。年を経て経験を積み、そしてある程度社会的な地位も発言力もあり、さらに幸運なことに多少は年齢の高い人を敬う習慣のあるこの日本社会でそんな社会を作っていくのは、50代以上の人たちの仕事です。それをやらずに若い人の「活気」を批判するな。

今この瞬間我々が生きている日本社会を作り上げたのは、若い世代の責任ではありません。高度経済成長やバブルで浮かれた経験を持つ世代です。そんな世代が自己の失敗、不作為を反省しつつ、経験を生かし、それでも手にできたものを社会に還元して「若い世代が力を発揮できる社会を作る」、それが50代以上の人の責任。「責任」です。

そんな時すぐに「政治家のせい…」「政治が悪い」という言い方になりますが、戦後約70年間そんな政治家を選んできた世代であることも事実。その後始末を30代、40代の人におっかぶせるのは無責任。今の生活も楽ではないかもしれませんが、そこに50代以上の社会的責任がある。

でも、ツイッターで呟いた時に帰って来たリプライに、バックアップというと、イコール「カネ」でしか考えられない人がいるのが不思議。「カネ」でしか「責任」を考えられないという考え方自体が「バブル」や「高度経済成長」世代でしょう。

カネといえば、50代以上は「自分にがっつりカネがあるかないか」ばかりを気にしている。ローンとか云々とかが言い訳に出てくるのもそのためだろう。でもその何十分、何百分の一、いやもっと小さな「何か」を差し出すだけで若い世代に活力を与えることができる。それに気づかないのがそもそもの問題。

50代以上の「がっつり思考」(そして、その裏返しの「余裕が無い」とかなんとかの言い訳)は高度経済成長、バブルの時の思考方法。若い世代が求めているのはそうじゃない。クラウドファウンでィングとかもっと考えてみれば分かるはずなのに。「ローン」じゃないんだけど。

「がっつり」という価値観はもう古いんだよ、そういう時代じゃないんだよ、ということを今、50代以上のバブル、高度経済成長の世代にわかってもらうには、どうすりゃいいんでしょうか?

そういえば、50代以上は引っ込んでサポートに回れ…と言うと、いつも決まって反論してくるのがみんな50歳以上、つまり自分のことを言われているから声を上げる人たち、というのがこれまた面白く、わたしはしつこくこの主張を繰り返しているというのもあります。なぜ他世代から反論がないのか。これも観察目的の一つ。

もし、「50代以上も今のままでいい、前線で若い人を押しのけて頑張って!」という30代、40代の声があれば、大歓迎で受け付けます。どうぞ。




posted by wanzee at 20:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | ニッポンのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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