2012年02月03日

岩波書店の社員募集騒ぎについて思うこと。

ブログを広げておきながら、ほとんど更新しておりませんな。失礼いたしました。毎日ツイッターでなんやかんやと大論をぶっているために、こちらに割く気力も時間も持てなくなってしまいました。とはいえ、ツイッターをやってない方もおられるわけで、これからしばらく、ツイッターでぶつ切りにせざるを得なかったつぶやきなどを、まとめてこちらでお伝えしようと思います。ま、手抜きと言われるかもしれませんが、人間一人、脳みそ一人なので、あっちこっちに別のことを書くなんてできませぬ。ご了承ください。

ところで、昨日、共同通信が≪応募条件「コネのある人」宣言 岩波書店が縁故採用≫(注:リンク先はライブドアのポータル)というニュースを流し、ちょっとツイッターが騒然となった。というか、わたしがフォローしているのは出版に絡む人たちが多いので反応が激しかったというべきか。わたしも、「コネ、かよ!!!!なんだそら!」と驚いた。

わたしの知っている中国メディアではコネ採用が横行している。中にいる人たちの話をよく聞くので知っているのだが、「記者のだれだれは政府の某なんとか相の親戚」とか普通に耳にする。そこはすでにそういう人たちで満杯になり、いろいろ社内でもトラブルが起こっているのだが、外野のわたしとしてはそんな特殊なコネによって「ネタのとれる」メディアがいつ、「黒いメディア」になっていくのか、興味シンシンでもある。

でも、しばらくいろいろ読んでいるうちに、これも日本人が持つ「幻想的平等感」のせいではないか、と。日本では「コネ採用」「縁故採用」、ほんとうにないっすか? 採用だけじゃなくて、企業の取引でも「コネ」「縁故」ないっすか? ないわけないでしょ? じゃ、なぜ岩波だけだめなの?


わに公的な社会で「コネ」を才能の一つ、と言ってしまえば、「平等」の条件は崩れる。今の中国を見てもわかる。メディアの正式採用はまずコネ優先。そうなると、そのコネ先に不都合な情報はその記者も、またそのコネを利用する人たちもできなくなる。

岩波の場合は「採用につき、社内外の推薦状を優先」することを認めたわけだが、そのような「関係づくり」が「コネ」となり、結局その「関係づくり」を作るために岩波関係の社内外の人たちが「コネ」を求める求職者に洗われることになる。そこでどんな取引がなされるか、岩波側は管理できない。カネで買われたコネも出現する可能性も。

…ま、そうはいっても、結局は一企業の姿勢なので、そういう姿勢を取る(コネを金で売りまっせ)という社員が出るかどうか、そしてそれを許すかどうか、受け入れるかどうかは「企業文化」だ。つまり、実際にカネを仲介した「コネ」を利用した案件が出現し、社会に非難されても、岩波はそれを「個別の問題」と断ち切ることはできなくなる。それを分かった上で「出版社」という情報を扱う企業として覚悟したなら、それもそれでいいんじゃないの。

今の日本、敢えて火中の栗を拾う、あるいは反面教師の鏡にされるかもしれない決断をする、そういう思い切りの良い決定をする人や会社や公的機関はほぼないに等しいので、そういうやばい道を渡る決定をした岩波のトップの判断力は認めたい。あとは彼らがそれをどうコントロールしていくつもりなのかだ。

だが、ここでしかし、岩波書店が上げている実際の採用条件には…「岩波書店著者あるいは岩波書店社員の紹介があること」とある。これ見て、共同通信がこれを「コネ」と「縁故」と書いてしまったのはなぜなのか、と考えた。共同通信の社員さんは「紹介」を受けたことがないんだろうか? 共同の社内では「紹介」を「コネ」「縁故」と言ってしまうのだろうか? となると、取材などで紹介を受けて赴くとき、彼らは「コネを使っている」と自称しているんだろうか? …ちがうだろ、やっぱり。

「紹介状」を「縁故」(親類縁者)とか「コネ」(利益関係)と書き換えたメディアの方が問題だ。

岩波の件、わたしもいろいろ言ってきたけど、ようは「要紹介状」(goo.gl/8u00j )が「男のみ」「女のみ」と同じ差別条項かどうか? これは「差別」ではないと思う。多くの人たちはメディアが使った「コネ」「縁故」という言葉のイメージに反応している気がする。

多くの企業が「紹介」は重視していると思うんだ。はっきり言って、我々のようなフリーランスがある媒体に記事を書くのも、多くの場合、「紹介」がものを言う。わたしはもともと、日本の出版界に縁もゆかりもなく、香港で編集者になり、フリーランスの書き手になったわけだが、フリーになった当初、「主権返還」も近い香港情報はいりませんか…と、いろんなメディアに声をかけたが、ほぼ95%返事すらこなかった。

あの時に、「紹介のない書き手」など日本のメディアでは一切考慮にも入らない、返事を送る相手ともみなされない、という厳然なる事実を知った。その後、本当の意味でまったく同様の売り込みで採用してもらったのは、村上龍さんのJMMだけだ。その後の仕事は、頼まれたものも頼み込んだものもJMMの結果が大きくものを言った。しかし、今でも売り込みより紹介が一番手っ取り早いのだ。もちろん、有名人ならそんなもん要らない。相手が知ってるから。

だから、わたしの心の中には常に、「中国の話題について、本当はわたしよりもっといい記事をかける人がいるかもしれない。でも、その人は紹介者やチャンスに恵まれずに今は書けないでいるのかもしれない」という気持ちがある。つまり、読者が目にしている記事は(わたしものだけではなく)ベストな記事とは決して言えないんだよね。本当は書けるし、書きたいのに、紹介がなくて発表するメディアがない人はきっといる。

そんな状況の出版界が、社員の採用に「紹介状」を求めるのはそれほど不思議なことじゃない。つか、日本の企業、どこも紹介による採用ってやってるでしょ? 

「紹介」を「コネ」とか「縁故」と言ってしまうのは違うと思うんだ。わたしの仕事も紹介で成り立って今がある。でも、それはコネとか縁故ではなかった。親戚縁者にこの世界の仕事をしている人はいない。「コネ」で誰かを蹴落とそうとしたこともない。紹介を得て、書きたい媒体に接触しただけ。

直談判して7年間も書かせてもらったJMMには、本当に感謝している。それでも、わたしは自分が知る限り、村上龍さんの「コネ」を使ったことはない。もちろん、彼の媒体に書かせてもらったことで、彼を慕ういろんな方の目に留まったのは事実。でも、これは「コネ」じゃない。「紹介」の部類だろ?

はっきり言って、メディアには、書き手と媒体の関係には「紹介」の場合と、「コネ」の場合と、「縁故」の場合が明らかに存在します。

記事を書く者が「コネ」や「縁故」や「紹介」でそこに立てる状況が今あって、編集者の側だけに「コネ」や「縁故」や「紹介」はダメ、というのはやっぱりおかしい。これ、まず問題の一つ。

二つ目の問題。コネでもいい、縁故でもいい、紹介でもいい、そうやって社員を雇って、その会社が成長するのかどうか、というのは、これまた別。

三つ目の問題。明らかに岩波は「紹介」と書いている。それを「コネ」「縁故」と書いてしまった。多くの人たちが「紹介」ではなく、「コネ」「縁故」という言葉のネガティブなイメージから連想しているようにおもはれ。

一つ目の問題は、ほとんどの読者が知らない出版・言論界がずっと抱えてきた現実。二つ目は個別の企業の成長方針の問題。三つ目は日本のメディアの報道姿勢の問題。それぞれ問題のあり方が違うと思います。

二つ目の岩波という企業の方針について本当にがたがた言えるのは、その成長を望む人たちだけではないでしょうか? たとえば愛読者、たとえば株主。あるいは今の社員たち。それを納得させれば、そんなの企業の自由だと思うけど。

だいたい、マジな話、「紹介」で食えている我々フリーランスが、岩波の「紹介」を「コネ」「縁故」と決めつけたり、誤読しちゃいかんのです。あれは「紹介」を「コネ」「縁故」と書き換えた俸禄付き通信社社員の陰謀(笑)。少なくとも岩波の説明をきちっと読んでから判断しましょ。



posted by wanzee at 21:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース記事から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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