香港という土地は驚くほど素早く、そして器用に経験を自分たちの未来への財産に変えていく。イギリス植民地時代には中国大陸から戦中、そして戦後(共産党政権成立)、さらに文化大革命時、天安門事件後の亡命者たちを次々に受け入れ、そして彼らのための社会体制、政策を整えた。
植民地時代の経験は彼らに中華社会において最も西洋社会に目を向けさせ(シンガポールも、と言う人もいるだろうが、シンガポールはそこで止まっている。そんなシンガポール人は自分たちを「西洋人」と呼ぶ)、海外旅行が大好きな香港人たちはまたそこで目にした事物や習慣を香港社会に取り込んできた。たとえば、90年代後半からの日本ブームはスピードや効率をなによりも第一に見なしてきた香港社会に、以前に比べて「立ち止まって味わう」文化をゆっくりと植え付けてきたように思う。
2003年のSARSでは感染地域に指定されたことで、世界的な金融都市であり、観光都市である香港は大打撃を受けた。しかし、その教訓を経て香港人の衛生観念は驚くほど向上した。多くの商業ビルのエレベーターボタンのそばには無水石けんが取り付けられ、路上からポイ捨てゴミが激減、公共のトイレや手洗い施設の改善が試みられた。
もちろん、便利なものに対する反応はもっと速い。東京より早く香港版「Suica」の「オクトパス」が導入され、今ではバスや地下鉄だけではなく、路上電車やフェリーなどのほぼすべての交通手段、そして駐車場の支払いもそれ1枚で済む。コンビニや多くの商店で使え、チャージもできる。携帯電話だって日本よりも普及が早かった。空港ではとっくの昔に住民の持つIDカードによる無人通関手続きが始まっており、市民はほぼ並ばぶことなく30秒程度で香港を出入りできる。
この街はこんなふうに上から下まで、次々といろんなものを取り入れ、受け入れ、ベストな生活方法を探す機敏さがあった。だが、今そんな彼らが大きな困難に直面している。
今月7日、ファッションブランド店「ドルチェ&ガッバーナ」(以下、「D&G」)前に2千人近い市民が集まり起こった騒ぎについて、ここ一週間ほど香港でいろいろな人の意見を聞いてきたが、この事件は「高度に発展してきた社会の体制に慣れ切った香港人」が現在心にため込んでいる不満が一挙に噴き出したという感が拭えない。
事件の概要についてはすでに「Newsweek Japan」サイトのコラム「中国 風見鶏」で書いた(http://www.newsweekjapan.jp/column/furumai/2012/01/post-438.php)ので、まだの方はまずそちらをご覧いただきたい。
いろいろな人に接するうちにこの騒ぎが抱える、本当の意味がわかってきた。まず、上述のコラムに書いたような、「大陸の金持ち観光客なら店の写真を撮って良いが、買わない香港人はダメ」とメディアが伝える解釈やニュアンスは、相当脚色された結果らしいということだ。
(…続きはメルマガ「ぶんぶくちゃいな」でどうぞ)