2011年05月18日

「時の流れに身を横たえ、彼らに思いを馳せる」

先週の5月11日は、東日本大震災からちょうど2カ月。その翌日の5月12日は、中国の四川省ブン(さんずいに「文」と書く)川地区で2008年に起こった大地震の3周年記念だった。

日本では今も、地震被災よりも福島原発に関する政府や東電の「情報隠し」が話題だが、中国の場合もご想像に漏れず、3年後の今も、現地政府の日常の不手際から起こった災害の実態は明らかにされていない。だから、今回の日本の「情報隠し」は中国の人にとってもとても残念なことととらえられている。「結局、東アジアでは民主主義といってもこの程度なのか…」と。

先週の東京新聞のコラムにも書いたが、中国の心ある人たちはまず、政府よりも何よりも、日本の一般市民の地震災害に対する態度に注目した。たとえば、東京で地震当日に電車が停まったとき、皆が黙々と自宅を目指して歩いて帰ったこと。実際にはJRが全線ストップを決めたのは正しかったのかどうかの議論は起こったけれど、それでも多くの人たちが「仕方がない」と受け入れ、またその沿線で多くの人たちが自宅や事務所やお店を臨時休憩所として差し出した。こういった相互協力関係が「成熟した市民社会」と映った。

次に見つめられているのは、とにかく政府の動き。中国の地震ではまだ1万7千人が行方不明だ。調べていて驚いたことに、3周年の回顧を特集した香港紙が引用していたこの行方不明者1万7千人という数字統計は、2009年5月7日、つまり地震発生からまだ1年もたっていない時のものが最新らしい。つまり、政府は7万人以上が亡くなった地震で、すでに1年後には行方の分からない人たちを見捨ててしまっていた。

そして、3年後の512地震の政府系メディアの報道は「急速に進む復興」ばかり。一部でいまだに仮住まい、あるいはテント暮らしの報道も流れたが、それは「勇気のある」メディアが流しただけであり、主流の掛け声は明らかに「復興を遂げる被災地」の華やかさばかり。行方不明者1万7千人がほっておかれ、被災者の立場に立った復興ではなく、目に見える復興だけが取り上げられる。そんななか、日本はいかに原発事件を含めて被災者たちに対応していくのか。それは人間的と呼べる対応なのか。中国のこころある人たちはそれに関心を寄せている。

それは日本がまだ、彼らの心の中では「先進国」だからだ。そして、彼らは自分たちが置かれている環境が酷いものだと知っており、しかし、それはどうやったら改善できるのか、どんな改善の仕方があるのか、を求めているから。さまざまな意味で豊かだったはずの日本で起こった今回の震災では、かつて彼らが生まれて初めて経験した、国と政府と社会と民のすべてが一緒に揺り動された挙句、熱さを忘れるとそれぞれ都合のよい未来像を思い描くようになってしまった苦々しさを前に、「それこそ学んでいくべきものがあるはず」と期待と熱意の目が注がれている。日本が今まで口先だけの「先進国」なのか、それとも本質を持った民主主義国なのか、期待を持って彼らはそれを今見極めようとしている。

それにしても、5月12日、中国共産党中央委員会機関紙「人民日報」の傘下にある「環球時報」の社説は、タイトルを「ブン川、千の顔を持つ中国の一つの真実」と被災地の名前をあげておきながら、こんな風に結ばれている。
我々は中国が高速道路網を建設したことを幸せに思うべきだが、その料金の高さに辟易している。我々は自家用車を運転しているが、交通渋滞に頭を痛めている。みんなが個人住宅を買ったのに、自分が買う時になってものすごい価格になってしまった。どうずればいい? その答は一人一人のものだ。しかし、楽観的な態度で複雑な人生に望めば、もっと楽しく過ごせるものだ。祖国を愛する人は、もっと幸せに過ごせる。積極的で前向きな人は、成功の機会がもっと増える。これは少なからずの人の経験なのだ。
地震を振り返るかのようなタイトルを掲げておきながら、わずか3年で被災地のことより都会で疑問を抱えずに楽しく暮らして生きていこうや、というのだ。

四川地震はもともと多くの中国人の心を震わせ、ある意味中国におけるボランティアの歴史の始まりともいえる事件だった。その人々の意識は最初の段階を過ぎると、「なぜ?」に向かった。そこに多くの疑問と不信が生まれた。たとえば、義捐金の行き先。四川地震の際に中国の赤十字への募金はそこでプールされ、必ずしも被災地への義捐金として使われるのではなく、まず赤十字がそこから自分たちの取り分を取り、そしてその他のプロジェクトへと配分するというざる状態だったことが分かった。今回の東日本地震の際に多くの人たちがダイレクトに日本の被災地に届ける方法を、日本の友人や取引先の日本企業に尋ねてきた(そのために、最初は日本大使館は義捐金を中国赤十字に送るように呼びかけていたが、その後独自口座を作った)。

また、政府が公共資金をどれだけピンはねしていたかも分かった。被災地では多くの校舎が崩れ落ち、子供たちが犠牲になっている。それがいまだに7千とも8千ともいわれているけれど真相が分からない。それを突き止めようと動き始めた民間活動家は「国家転覆罪」で逮捕され、その彼を助けようと証言台に立ちに向かった北京の芸術家艾未未(あい・うぇいうぇい)は、裁判所に向かう前の日に現地の公安に殴られ、軟禁され、結局裁判所には向かえなかった。艾はその際に取った録音やビデオ、写真を公開しているけれど、地方政府どころか中央政府もそれを見て現地公安の責任を問う行動は起こしていない。すでにこのような地震の実情隠しは国家的犯罪と多くの支援者は感じ始めている。

しかし、4月初め。北京首都空港で出国しようとしていた艾未未が拘束され、消息を絶った。この事件が、彼を支援してきた人に大きな衝撃を与えている。512を追及することがそれほど悪いことなのか? 庶民の抑圧を語ることがこれほどまでに罪なのか? 世界的な芸術家を逮捕してまでも口封じをしたいのか? 

彼や彼が巻き起こす波を見守ってきた人は、今年の512を前に言葉にできない圧迫感を感じていた。そしてその日、広東省広州で発行されている「南方都市報」は、このような社説を掲載した。
時の流れに身を横たえ、彼らに思いを馳せる

今日は四川大地震の三周年記念日だ。読者諸君はきっと我々の哀悼の気持ちを知っているはずだ。あの大地震は山河を砕き、八万人あまりの人々が死亡、行方不明になり、連綿たる悲しみが今に至るも続く。悲しみとは同胞があっという間に姿を消して帰ってこないためであり、そうして五月は悲哀の月となった。悲しみとはまた自分の無力さを思い、決別を納得できずにいるせいでもある。またこの祭祀の時が巡ってきた。時の流れに身を横たえ、彼らに思いを馳せるとき、実はまだまだ多くの問題を確認しなければならない――彼らとは誰なのだ? 彼らはどんな目に遭ったのだ? 彼らはどこにいるのだ? 彼らは我々に何をしてほしいと思っているのだ?

香の香り、そして煙がゆらゆらと虚空に上っていく。彼らは冷たい数字ではなく、かつて百家姓(注1)を頂く、生き生きとした存在だった。彼らはその生をまるまる五月の廃墟へと持ち込んだ。彼らはこの世で七年、あるいはもっと長いか短いかの歳月を楽しく過ごした。彼らは親であり、子であり、姉妹であり、兄弟であり、黄色い肌の人たちだ。彼らは山村の住民と訪問客であり、山や川を越えた人であり、雲が自在に流れる様子を眺めた、真実すべてなのだ。彼らはあなたが出会った、あるいはまだ出会っていない人類で、大地に暮らす魂なのだ。(注1 「百家姓」:中国人の姓の集大成。百あると言われているが実際にはそれ以上だとも)

生は偶然であり、死は必然だ。三年前の今日の同じ時刻、午後や黄昏、黒夜は朽木のようやってきて、時の流れを塞いだ。赤い色は血、灰色はほこり、白い色はめまい、黒い色は死神の衣装、彼らは色の横流に倒れ、まるで不幸な作物のように、鋭利な刃で殺害された。彼らはすべてを失い、彼らの老年、中年、青年、あるいは童年時代はあまりにも早く、速く終わった。彼らはさまざま形のかけらになり、尖ったふちで日々を傷つけて涙をにじまさせ、故郷を捨てた。

彼らは四方からやってきて、八方に去って行った。我々は悔いている、彼らには本来、もっと良い死に方があったはずだ、と。たとえば、じっくりと哀悼され、また涙が雨のように降り注ぐことが許されたはずなのだ。彼らはあわただしく、悲しみに満ちた村や町を永遠に離れ、今岩の上に新緑が芽吹く山肌に、いまだ学校に、路上に、地下に、無名の場所にいる。彼らと彼らは一緒にいる、まるで麦と麦が一緒に育つように。夏の日、彼らの最後の黄昏のなか、我々には見えない場所に行ってしまった。彼らは生きる者にとって唯一の痛みとなり、唯一の慰めとなった。

我々は心のなかで彼らのために半旗を掲げ、哀悼日に彼らの魂を呼び戻し、彼らが生きた証拠を探し、一緒に彼らの名前を読み上げた。我々は終始それを心にとどめ、息づかせ続けることを誓った。我々はたくさんのことをしたけれど、一方でほんの少ししかやれていない。道に迷って戻ってこない人たちよ、きみたちはどこにいるのだ? 我々がともした光はきみたちの道を照らしてくれているだろうか? 我々にはもう多くのことはできず、ただ鉄で作った十二支(注2)を飾り、陶器で出来たスイカヒマワリの種(注3)を捧げ、きみたちの固まってしまった生命を象徴し、祭ることしかできないのだ。きみたちは、我々にもっと何をしてほしいのだろう?(注2 「鉄の十二支」、注3 「陶器で出来たスイカヒマワリの種」:どちらも艾未未の作品。前者は現在、ニューヨークセントラルパークで展示されており、清朝末期に持ち去られた宮廷の十二支像返還騒ぎを皮肉ったもの。後者は昨年ロンドンで開かれた展覧会の作品。壊れやすい陶器で、中国人にとって身近なスイカヒマワリの種を大量に作って並べ、やはりこれも中国人固有の伝統習慣を皮肉ったもの)

我々は知っている、死がすでに起こったことを。そして忘却がそのそばで待ち受け、彼らの再びの死を心待ちにしていることを。もし思い起こさなければ、忘却はますます強大になっていくのだ。今日の祭祀こそ忘却を拒むため、再び彼らを失うことを拒むためなのだ。今後の記念もまた、その目的はほかでもない、彼らの前で一つ一つ証明してみせるためなのだ。我々はまだ遠ざかっていない、我々はずっと一緒にいる。それが死や恐れを伴うものであっても。それは刻まれるべき約束なのだ。人は消える、しかしまた永遠なのだから。それは我々の、村全体、町全体、良知の国民に対する承諾なのだ。

土に生まれて土に帰す、しかしある責任を捨て去るわけにはいかない。それこそが我々の彼らに対する記念であり、校庭の学生に対する記念であり、山野の農夫に対する記念であり、黄土の泥像の凝視者に対する記念であり、家庭の死者に対する記念であり、花束の墓碑に対する記念であり、生命の生命に対する記念なのだ。我々は決して忘れない、忘れずに彼らの方へと目を向ける。我々の生活には彼らがいる、我々は自分のためだけに生きるのではないのだ。時間の流れがあちらとこちらを結びつけ、我々を再びつなぎとめる、まるで実際には彼らを失っていないかのように。

今日この時、どんちゃん騒ぎを止めて、自分の身を時間の流れに横たえ、いつも彼らが取っている姿勢になって、彼らの所在と願いを感じとり、我々の対話と承諾を思い起こそう。彼らが去って以来、我々は一晩も安眠できずにいる。しかし、三年来、我々の原則をしっかりと心に刻み、自分たちに警告してきた。五月は悲しいが、一方で目を覚ます時でもある。彼らに対してきちんとした態度を取ることで、我々は人類との距離を測るのだ。大地の神々よ、彼らをも護りたまえ。彼らが我々を護ってくれるのと同じように。そして心安らかに。
一説によると、この社説の原文タイトルは、艾未未の父である左翼詩人艾青の作品をもじったものらしい。文中には艾の名は一切出てこないが、明らかに艾の活動を「512その後」として人々が位置づけていることがよく分かる。しかし、この中で艾の名前に触れるかどうかは問題ではない。というのも、このままいけば艾もまた512の多くの犠牲者とともに葬られてしまうからだ。

この社説は多くの中国人の心を震わせた。そして、その日の午前のうちに同紙のウェブサイトから削除されている。



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五月よとどまれ、君の記憶に。
Excerpt: 地震の話題が続きますが、今回は日本ではなく中国の方の話です。先週12日は、四川省...
Weblog: やうちさん、ニュースだよ!
Tracked: 2011-05-21 01:31
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